車の修理、そして悲しい出来事。

 

マイカーの修理に預けてきた Body shop へ今日はピックアップに出かけた。デイラー指定店の3分の1の見積りでは お気に入りのキレイなパールワイト色をきちんと出してくれるかしら・・・・と気にしてたのも心配無用で 綺麗な仕上がりでハッピー!!気分よくドライブし乍ら このBody shop を紹介してくれた旧友に感謝・・・・・・・持つべきものは友人なり・・・・と心からありがたみを感じました。

それで彼女にお礼メールを書いたという訳です。

 

でも悲しい涙がこぼれ落ちる出来事もあったのです。

 

私が生まれて初めてカラオケをしたのは 1996年トロント仏教会の地下ホールでした。お寺に初めてお詣りにダンナと行った日、お坊さんにカラオケを勧められたのです。トロントには日本のカラオケBox はありませんでした。 

 

そこにはカラオケ好きの日系人が地下ホールに満杯。ほとんどが二世と帰化二世の人。でも日本の演歌をうまく歌うのですね。中には日本語が読めなくてローマ字で書いてまで歌うのです。年2度のカラオケパーティーで会員は 皆さん普段と違うドレスアップのおしゃれ姿でステージに上がり歌うのです。寸劇や踊り、手品までありすごい熱気でその楽しさにのめりこんでいきました。

それまで仕事一筋で趣味もなかった私はとりこになりました。           そしてとても気が合う二世のカップルと 親しい友人になりました。

 

ステキな副作用も起きました。踊りのコネクションが出来て現代舞踊を個人で習うようになったり、ダンナと一緒に民謡グループにも入りました。それからボーリング愛好人からも誘われて 日系ボーリングリーグにも参加しました。

 

年月を早送りして さあ、コロナの二年前の事です。 カラオケで知り合ったカップルがお二人でリタイヤメントホームに入られました。でもカラオケ大好きで毎週のカラオケにはよく出席されてました。

 

昨年、Mr がガンでHospital に入られ Mrs はホームに一人取り残されました。彼女は93才でメールも出来ないし、健忘症 も始まっています。それにコロナで病院は勿論、ホームの彼女にも会いに行けずイライラの長い期間でした。
 
突然5月初め カップルの家族からMr は亡くなったとメールが来ました。
勿論参加も出来なかったお葬式が済んだ5月中旬、家族から私に残した物として   郵便にて一枚のメモが届きました。
 
それは大変読みにくい字で書かれた彼の最後の言葉でした。
全部で13桁、その中にxxさんにたのんで明日くすりで死なせてもらうことになりました。もう一度みんなで一緒にカラオケにいきたいものですが あの世で夢でもみるようにします。今日はこれで さようなら 
こんな感じでした・・・・・・     
 
最初はびっくり仰天!!
それから読み直して、まさか・・・・本当かな・・・・また読み直し・・・・
彼を思い出し どんなにさみしく悲しいでそんな決断をしたのかしら・・・・
考えれば考えるほど 悲しくて涙がこぼれ落ちました。
一緒にDuet したりお芝居をしたり カラオケパーティーでは衣装を着けてリハーサルに何度もはげんだりしてベストフレンドだった・・・悲しくて涙が止まりませんでした。
少し落ち着いて 今カナダではそんな安楽死が許されてるのかしら??と思うようになりました。そんな事が許可されてるのですね。全然しりませんでした。
 机の上に置いたままのメモを見る度に 泣きたくなる思いがします。
 
 
裏庭のボタンが満開で 隣に引っ越してきたイラン人からほめられました。

 

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